人手を離れ、人目につかず、時間と風雨にさらされて、ただありのままをさらけ出している場所や瞬間。すきま写真家の大塚さんは、それを“すきま”と呼び、愛でています。

▲2016年@茅ヶ崎
すきま写真を発表し始めたのは2008年のことですが、それ以前からずっと、自分の中に”すきま感覚”はあったと思います。
すきまとは何かって? それは見ていただくのがいちばん早いと思いますが、風雨にさらされた壁とか、打ち捨てられたガレージ、海外の子どもの落書きや海岸に打ち寄せられたボンテージスーツ、奇怪なかたちの雑草など。何と何の間か定かではありませんが、日常の中にある異世界、過去と錯綜している現在、さいはてがない場所のきわ、そういう物事を見つけては写真に収めます。
僕自身、美容師として人間として、いろいろ美しいものをつくろうとしてきました。けれど、あるとき思ったんです。「何にもできないくせに、つくろうとしちゃダメだな」って。以来、つくることから見つけることへとシフトした。すると僕自身、人の意図が働いていない、無作為のものにしか美しさを感じられなくなりました。そんな自分に残されたのが、すきま写真という表現というか、営みだったのです。
すきまには作為がありません。もともとは人間がよかれと思ってつくったものでも、忘れ去られ時を経るうち、用途も意味も失って、なるに任せた姿をさらけ出す。絶えず移り変わりつつ、今だけ、そこにしかない状態を見せている。僕はただ、それをすきまと分かり、写真として持ち帰ります。
画角や構図はまったく考えませんね。後で見て、「現場にはこんなものもあったんだ」と気づくことも多々あります。意外なものが写り込んだり、記憶と違う色が出ていたりして、それがまた良かったりする。すきまに対する感度は常に変わらないと思っていますが、一番怖いのは、写真がうまくなっちゃうこと。いつまでも下手くそなまま、すきまに呼ばれていきたいです。

▲2010年@カンボジア・バッタンバン

▲2016年@鵠沼海岸

▲2016年@茅ヶ崎
※本記事は、『HAIRMODE』および『HAIRMODEdigital』2017年4月号にて掲載した記事を転載したものです。