日本人について語られるいろいろ。ときに批判的、自虐的に挙げられる特徴の数々はしかし、幸福な未来への糸口となるかもしれない。 解説/前野隆司[慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科]
日本人とはどのような人たちでしょうか。よく、日本は単一民族国家だと言われますが、遺伝的な研究によると、縄文時代以前に東アジアの島々や中国大陸から来た人たちと、弥生時代に朝鮮半島から渡った人たちとの混血という見方が有力です。つまり、遺伝子的には長年の間に多様な出自が混在しており、ひとくくりにできるとすれば文化的な観点からにすぎません。日本人がある文化的共通点を持つ集団だとして、ではその共通点とは何か。グローバル化が進む現代、よく指摘されるのは次のような事柄です。1.日本人には裏表がある「根回し」を行ない、「建前と本音」を使い分ける。2.日本人は考えをはっきり言わない会議などで意見を言わず、「持ち帰って検討します」に終始し話が進まない。3.日本人は必要以上に謝る自分に非があるか分からなくても、弁解の前にとりあえず謝る。4.日本人は人の目を気にする教育上、欧米では他人と比べず個を伸ばすが、日本は仲良く協調を旨とする。5.日本人は決断が遅い日本企業は縦割り構造で、各担当部署の合意を得るまで物事が決まらない。6.日本人は意味もなくニコニコ笑う悲しいとき、諦めたとき、恥ずかしいときなど負の感情を抱くときもほほ笑む。7.日本人は独立心、自尊心、自己統制感が低い他人に依存しがちで自己主張がなく、流されやすい。自分を持っていない。8.日本人は外国人に対して差別をする外国人に対する戸惑いや気後れが、距離感として現れる。9.日本人には海外コンプレックスがある英語が苦手。欧米人の体格や顔の造形に憧れている。自信なさげに見える。10.日本人は日本人論が好きである日本人自身、日本人がよく分からない。他国人の自国人論は日本ほど多くない。――以上、押しなべて、自己があいまいで他者や状況に流されやすく、何を考えているか分からない人たち、といったところでしょうか。”特徴”というより”欠点”というような内容で、不愉快になる方もおられるかもしれません。しかしながらこれらは全て、世界的にまれで貴重なある1つの特性に起因しています。すなわち、中心が”無”であることです。
日本人は平和ボケで主義や信条がない、と言われることがありますが、何もないのではなく、”無”が”ある”のだと私は考えます。例えば、アメリカ人の中心には「愛と自由」があります。キリスト教的な愛と、自由のための闘争。これを精神的支柱として皆が共有しているから、それに反する物事は一致団結して排除します。一方、日本人の中心は無。まず、諸行無常の「無常」。全ての物事は移ろい、絶対的なものはないという前提。次に、仏教の諸法無我の「無我」。あらゆるものに、永遠不変の本性はないという観点。さらに、「無私」。私心を捨てた共存的・献身的道徳観。これらを知らず知らずのうちに共有しているのが、日本人です。中心が無だと、主義にかざして物事を判別・排除する働きが起こらないため、結果として、あらゆるものを自分のものとして受け入れることになります。これは日本の歴史上たびたび起きた現象です。例えば、多神教である神道のもとへ神のいない仏教が渡来したとき、どちらも捨てず互いを守り救うものとして共存させたこと。漢字をもとにかなを発明して両方使い、さらにはカナを使って外来語を導入したこと……。内が無だからこそ外に敏感で、新しい物事に対して善悪の判断や既存品との比較より、まず受容するという”無限抱擁”の態度で臨みます。正誤や真偽に捉われないこの統合的思考は、実は紀元前5世紀ごろまで、世界中に見られたものでした。詳しくは省きますが、ギリシア哲学やブッダの言説、老荘思想などに、論理の枠組みを超えたメタな思考が垣間見られます。しかしその後、特に西洋では一神教の台頭と共に、一定の枠組みの中での論理的・分析的思考に傾倒し、それが産業革命や科学技術の発展などの成果を生みました。けれど現在、この論理至上主義が、限界を迎えています。一神教同士の対立は絶えず、一義的に経済的利潤を追求する資本主義は必ずしも人を幸福にせず、また最新の素粒子論や脳科学では、世界はもともと論理を超えていることが分かってきた。このため、既存の枠組みを超えるメタな視点が見直されています。そんな中、かつての統合的思考が世界で最も温存されている場所こそ、島国・日本。日本人の、あらゆるものを重層的に取り入れ共存させる地味でサステナブルな生き方が、今後世界の新機軸を探る手がかりとなり得ると、私は感じています。
※本記事は、『HAIRMODE』および『HAIRMODEdigital』2017年7月号にて掲載した記事を転載したものです。
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