
政府は、最低賃金(時給)の全国平均を、 2029年に1,500円へ引き上げることを目標としている。この目標が達成に至るかは不透明だが、物価高騰の社会情勢下にあって、 強い賃上げ圧力がかかっている現実は否めず、美容室経営にも今後、大きな影響を及ぼすことになる。そこで、時給1500円時代の美容室経営と、美容業の今後の在り方について特集する。
国は賃上げを推進し、かつ生産性を高めるための助成金を多数用意している。これらを活用し、勝ち残る美容室を構築しよう。
解説:落合重正[落合社会保険労務士]
賃上げは美容室にとって大きな負担であるものの、投資と捉えることもできます。この投資を「スタッフへの還元」に加え、「経営の安定化」「生産性の向上」にもつなげるための、さまざまな公的支援があります。
そこで、賃上げ要件を満たすことによって、より有利な条件で獲得でき、かつ、美容室で活用しやすい助成金をまとめました。助成金の中には、設備投資や教育訓練に対する経費補助もあります。例えば、作業効率化につながるオートシャンプーの導入や、スタイリストの早期デビューを目的とするアシスタントへの研修などは、特に検討の価値があるのではないでしょうか。
業務改善助成金
サロン内最低賃金を引き上げ、設備投資などを行った中小企業に、その費用の一部を助成するもの。中小企業で働くスタッフの賃金引き上げのための生産性向上の取り組みが支援対象となる。
※申請前の賃金引き上げ、交付決定前の設備投資は対象外。
活用例
サロン内最低賃金スタッフ5人の時給を30円引き上げた場合、設備投資にかかった費用に対し最大100万円が助成される。
| 賃上げコース区分 | 助成上限額(引き上げる人数・規模により) |
|---|---|
| 30円コース | 30万~130万円 |
| 45円コース | 45万~180万円 |
| 60円コース | 60万~300万円 |
| 90円コース | 90万~600万円 |
活用のポイント
賃上げ+設備投資
キャリアアップ助成金(賃金規定等改定コース)
非正規雇用スタッフの基本給の賃金規定等を3%以上増額改定し、その規定を適用させた場合に助成が受けられる。パートタイムなど非正規雇用スタッフの賃金引き上げが対象となる。
活用例
賃金規定などを5%増額改定し、5人の有期雇用スタッフの賃金引き上げを実施した場合、1人当たり6.5万円×5人=32.5万円が支給される。
| 賃上げ率の区分 | 助成額(1人当たり) |
|---|---|
| 3%以上4%未満の場合 | 4万円 |
| 4%以上5%未満の場合 | 5万円 |
| 5%以上6%未満の場合 | 6万円 |
| 6%以上の場合 | 7万円 |
活用のポイント
非正規雇用スタッフの賃上げ
働き方改革推進支援助成金
労働時間の削減や年次有給休暇の取得促進などに取り組む中小事業主に、外部のコンサルティング、労働能率の増進に資する設備・機器の導入などを実施し、成果を上げた場合に助成する。
活用例
設備投資などを実施して、36協定で設定する時間外・休日労働時間数の上限を引き下げた場合などに、設備投資にかかった費用に対し最大25万~200万円が助成される。
| コース区分 | 助成上限額(賃金引き上げ額・人数・額により) |
|---|---|
| 労働時間短縮・ 年休促進支援コース | 25万~200万円 |
| 勤務間インターバル 導入コース | 50万~120万円 |
活用のポイント
労働時間削減などの取り組み+設備投資など
人材開発支援助成金
職務に関連した専門的な知識および技術を習得させるための職業訓練などを実施した場合に訓練経費や訓練期間中の賃金の一部が助成される。
活用例
中小企業事業主が、正規雇用スタッフ1人につき、10時間の訓練(経費10万円)を受講させ、訓練終了後、受講者の賃上げ(5%以上)を行った場合、7万円が支給される。
| 区分 | 賃上げした場合の助成率・額 |
|---|---|
| ①賃金助成額 | スタッフ1人1時間当たり 500円・1000円 |
| ②経費助成率 | 訓練経費の45%~100% |
| ③OJT実施助成額 | 1人1コース当たり 12万~25万円 |
活用のポイント
職業訓練+経費助成など
助成金は、融資と違って返済不要の公的支援であり、美容室経営にとって大きなメリットとなります。ただし、非常に魅力的な制度であるものの、簡単に受けられるわけではありません。受給のための対象となる要件があり、特に適切な労務管理が行われていることが重要になります。
以下に代表的なチェックポイントを紹介します。
一定の労務管理が不可欠
法令に定められた賃金台帳、雇用契約書、労働時間管理などが整備・運用されていることが前提となります(下のチェックリストもご参照のこと)。
計画的な準備が必要
助成金の多くは実施計画を申請し、事前に認定を受ける必要があります。
要件の確認を徹底
賃上げの金額や対象期間、設備投資の内容など、細かな要件が設定されています。
これらが整備・運用されていないと、助成金の申請自体ができなかったり、申請しても不支給になったりといったリスクがあります。言い換えると、助成金は「適切な労務管理ができている美容室に与えられたインセンティブ」と言っても過言ではありません。
面倒と思われるかもしれませんが、労務管理の整備は、助成金申請の前提条件であるだけでなく、スタッフの定着率向上や、新規採用時の魅力アップにも大きく貢献します。
□ 下記の書類が整備されている
□ 就業規則がある
※常時使用するスタッフが10人以上の場合、作成と所轄労働基準監督署への届出義務がある。
□ 雇用保険の手続きが適正に行われている
□ 社会保険(健康保険・厚生年金など)の手続きが適正に行われている
□ 労働保険料を滞納していない
□ 直近6カ月以内に会社都合で解雇した労働者はいない
助成金の申請や労務管理の整備は、専門知識が必要となる場合も少なくありません。そんなときに頼りになるのが、専門家や公的機関のサポートです。
助成金申請支援:社会保険労務士会
「助成金は種類が多くて、どれを選べばいいか分からない」「申請書類の作成が大変そう」と感じる方もいらっしゃるでしょう。そんなときは、社会保険労務士に相談することをおすすめします。社会保険労務士は、労働・社会保険に関する専門家です。助成金の情報提供に始まり、ご自身の美容室に合った助成金の選定、受給要件の確認、煩雑な書類作成、行政機関とのやり取りに至るまで、コストはかかりますが、全てを任せることが可能です。オーナーは、本業である美容室経営に集中できます。
お近くの社会保険労務士は、各都道府県の社会保険労務士会を通じて探すことができます。
■全国社会保険労務士会連合会
https://www.shakaihokenroumushi.jp/consult/tabid/527/Default.aspx
労務管理支援:働き方改革推進支援センター
「労務管理を改善したいけれど、どこから手を付ければいいか分からない」「就業規則を見直したいけれど、自力では難しい」…、このようなことに悩むオーナーにおすすめなのが、働き方改革推進支援センターです。
これは、厚生労働省が全国に設置している無料の相談窓口です。社会保険労務士などの専門家が、賃金制度の見直し、就業規則の作成・変更、労働時間管理など、労務管理に関するさまざまな相談に無料で応じてくれます。美容室に特化した相談事例も多く、安心して相談できる公的機関です。
■厚生労働省 働き方改革推進支援センター
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000198331.html
時給1500円時代は、美容室経営にとって、単なる負担増ではなく、経営の収益構造や労務管理を変える大きな転機となります。この転機に対応し、何かを変えていくために、また、より改善していくためには、公的支援をうまく活用し、同時に労務管理を整備することが重要。スタッフが安心して長く働ける環境を整えることで、離職率の低下、生産性の向上、そして人材採用の差異化など、大きな武器を手に入れることにもなります。すなわち時給1500円時代とは、あなたの美容室をさらなる発展へと導く、絶好の機会と捉えることもできるのです。
コストをかけなくても、できる労務管理は多々あります。こんな時代だからこそ、労務管理で他店との差異化を図ってみてはいかがでしょうか。それが「選ばれる美容室」へと成長するための重要な要素です。スタッフが安心して働ける職場環境は、お客さまにとっても魅力的な美容室として映り、選ばれるはずです。ぜひ、美容室の構造改革に取り組んでください。


次回は…(5/14公開予定)
時給1500円時代の美容室経営
その5|時給1500円時代の到来は美容業の収益構造を見直す契機
はじめから読む… その1|時給1500円時代へ向かう社会的背景を受けるのか?
※本記事は、月刊『美容の経営プラン』2025年10月号から転載した記事です。